壁の向こうにあるもの──塗装職人・佐藤さんの仕事

一般的に塗装の仕事は、家づくりの終盤にやってくる。
大工が木を組み、電気屋が線を引き、左官が塗り、建具屋が納めたその先。
静かな現場で、佐藤さんは一人、壁に向き合いはじめる。
「ほんま最後の仕事なんで。もう、かっこ悪いもんは残されへんなって。みんなの仕上げを、背負ってる気持ちです」
その背中には、”仕上げる者”の責任感が滲んでいた。
目次
変わり者のDNAと、壁への執念
佐藤さんが塗装の世界に入ったのは、18歳のとき。
「車が欲しかっただけっすよ。早よ働いて、稼いで、って。親が塗装屋やったから、自然に入ったって感じです」
けれど、ただの家業継承では終わらなかった。
実家の塗装屋は「ちょっと変わった塗装ばっかやってる」と父が自慢する、風変わりな現場ばかり請け負っていた。モルタルの上に塗料を吹き付ける。アメリカ流の“割れにくい下地処理”を日本で試してみるなど、少し変わったスタイル。
「新しいことが好き」だった父親の気質を、佐藤さんはまっすぐに受け継いでいた。
下地に命をかけるということ
塗装とは、ただ色を塗る作業ではない。
「“割れない壁”をつくるための、下地処理こそがすべて」と佐藤さんは言う。天井や壁に使われる石膏ボードは、そもそもアメリカから入ってきた素材。けれど、日本にはそれを活かす「下地づくりの文化」が根付いていなかった。
「だから、塗装仕上げが広がらへん。すぐ割れる。クロスが主流になったのもうなずけます」
佐藤さんは、アメリカの技術に倣いながら、自ら改良を重ね、日本仕様の“割れにくい下地”を探究しつづけている。倉庫で何度も試し塗りを重ね、4回、5回と見本を作っては現場へ足を運ぶ。
「正直、伝わってへんと思いますよ。施工管理にも。けど、これがなかったら、塗装なんて意味ないですから」
“綺麗”は、技術だけでは生まれない
佐藤さんの手がけた壁や天井を見た大工職人たちから、こんな言葉が返ってくる。
「こんなん、見たことない」
「誰が塗ったん?」
「作業風景を見てみたい」
出張先の現場で仕上げた壁を見て、大工がわざわざ大阪まで挨拶に訪れたこともあるという。
「シンプルに、めちゃめちゃ照れましたよ。でも、嬉しかったですね」
その“綺麗さ”の理由を訊くと、佐藤さんは一瞬、言葉を探したあとにこう言った。
「絶対、よその塗装屋より綺麗に仕上げてるって自信はある。割れにくい壁っていう意味でも、見た目の美しさって意味でも。けど、何が違うかって聞かれたら……たぶん、“やりたいからやってる”ってとこかな」
“飽き性の職人”が選んだ働き方
佐藤さんの仕事には、マニュアルもルーティンもない。刷毛やローラーの種類から塗る順番まで、毎回現場で最適解を組み立てていく。
「塗装って乾くまで時間かかるんでね。乾く間、ぼーっとしてたらもったいない。段取り組んで、乾いてる間に次の場所塗ってって、常に考えながら動いてます」
飽き性だからこそ、仕事を“遊び”のようにアップデートしつづける。子どもの頃、段ボールに絵の具を塗って遊んでいたその延長線が、今の現場にある。
塗装は、命を守る仕事だ
「アメリカでは、下地処理がしっかりできてなかったら保険が通らんのですよ」
石膏ボードに紙テープを貼り、石膏パテで平らにする。それによって壁が“1枚”になる。隙間がない。燃えない。煙が漏れない。火事が起きても、部屋に閉じ込めて命を守る。
「日本やと“見えない”部分に手をかけへん。でも、本当はそこがいちばん大事なんですよ」
だから佐藤さんは、今日も仕上げの仕上げに命をかける。美しいだけじゃない。壊れないために。守るために。そして、自分が「楽しい」と思える瞬間のために。
「俺が塗る壁は、割れへん。それが、俺のプライドです」