「曲がる壁に、真っすぐな手を」――大工・高村さんの、まっすぐじゃない現場

熊本から大阪へ移り住んだ家系の中で、大工の高村さんは生まれ育った。父の手元を手伝い始めたのは、高校を出てすぐ。
「最初は親の仕事を、ただ手伝ってただけなんです」
その言葉の裏に、照れも、誇りも、少しの覚悟もにじんでいた。
若いうちは、別の仕事を始めては辞め、また、始めてを繰り返した。けれど気がつけば、工具を握る時間がいちばん長かった。父の元での修業を経て、他の現場でも腕を磨き、30歳のころには独立。それから約25年、大阪を中心に、大工ひと筋で走ってきた。
「バカではできへん。でもバカじゃないと続かへん」
建築の現場には、そんな言葉が冗談のように交わされる。答えのない設計図と、曲がった梁、傾いた柱。それでも、高村さんは今日も“Rの壁”をつくっていた。
目次
「設計者の“代わりの手”になる」
クジラとの出会いは、知り合いの大工からのひと言だった。
「変わった仕事、してるところがあるで」
その言葉の通り、普通とはひと味もふた味も違う案件ばかりだったと振り返る。
「まっすぐに組めば終わる仕事を、わざわざ曲げる。そら、面白いですよ」
ある現場で施工されたRの壁。やわらかくカーブしたその面には、見えない工夫が幾重にも重なっていた。支点が上にない分、下からの支えを増やし、門柱の角度を微調整する。設計図に書かれているのは“R715”という指示だけで施工方法は一任されている。そこから先は、職人の経験と勘がものを言う。
高村さんは、数回のコミュニケーションのなかで、クジラ設計者の“癖”を読み取っていく。
「この人はここにはこだわるやろうなって」
その想像力が、完成度を左右する。質問に返ってくるニュアンスや、図面の描き込み具合をみている。
「ぼくらは、設計者や施主様の“代わりの手”。頭の中を読み取って形にするんです」
現場では毎日が翻訳作業だ。頭を使い、手を動かし、ときに夢でうなされながら、仕上げていく。
「在宅勤務の家には猫がいる」
この日、高村さんが手掛けていたのは、在宅勤務の夫婦が暮らすマンションリノベ。施主の要望に合わせ、キッチン横のカップボードも高村さんの手でハンドメイドされた。
「ここのお子さん、ロボット相撲やってるって言うてましたね」
穏やかな顔で、さりげなく施主とのやりとりを思い出す。在宅案件では、鍵を預かり、日中は家の中で作業を進める。気づけば施主と顔を合わせるのは、数回だけ。それでも、彼の手がつくる空間には、丁寧な“気遣い”が染み込んでいる。
「猫、多いですよ、在宅勤務の家。高確率でいます」
そんな冗談まじりの観察力が、家づくりを静かに支えている。
「曲がったものを、真っすぐ支える」
リノベーションの現場は、毎回“違う条件”が当たり前だ。
「現場に入ってみないと状況はわかりません」
設計図に記された寸法と、実際の現場が一致しない場合もある。こけた柱、ずれた床、沈んだ天井。だから、図面通りに作っても、納まらないことだってある。
「なんでかんで、結局、なんとかなってますね。不思議なもんですわ」
最終的に問われるのは、図面をどう“翻訳”するか。そのとき、職人としての真価が試される。
今日も高村さんは、Rの壁に向かっている。曲がったものを、まっすぐな目と手で、支えつづける。それが誰かの「好きなかたち」だから。それが、住む人の暮らしを描く線だから。