捨てるもの、残すもの。三代目社長が引き継いだモノ。

会社がひとつ新しくなるとき、何を捨てて、何を残すのか。
宿のコンサルティングを手がける株式会社宿力の京都支社が、移転することになった。移転先は決まっていたが、ひとつだけ動かせないものがあった。会社の創業者が父親から受け継いだ、一枚岩の天板。大人が四人がかりでないと運べず、冬は冷たく、静電気を弾く。当時、専務だった松本社長は、これを機に手放すつもりでいた。
移転から半年。手放すはずだった一枚岩の天板は新しい机となって会議室の真ん中にある。銀行の担当者が来ると、「いい会議室ですね」と言われるのだという。

捨てるはずだった一枚を残すと決めたところから、宿力の新しい“何か”が動き出した。
目次
撤去を決めていた
「たぶんタンザニアの木の化石なんですよね。日本にないすごいやつらしいんですけど、よく分からなくて」
株式会社宿力・松本社長は、会議室の天板をそう説明して笑う。
宿力の創業者が父親から受け継ぎ、会社を立ち上げて事務所を移すときに託された、いわば会社の形見である。
とはいえ、日々使う側からすれば、扱いにくい代物でもあった。前の事務所では、木の板の上に乗せて使っていた。

「実は僕、これを撤去したかったんですよ。『よし、これを撤去するぞ』という話になって、ようやく片付いたと思っていたら──『親父の形見やから、それだけはやめてくれ』と」
残すしかない。そう決まった瞬間に、松本社長は設計の方針を固めた。
「じゃあもう、これをポイントにしてデザインするしかないだろう」
一枚岩の天板を軸に、会議室を組み立てる。オフィス家具を並べて移転を済ませる話では、なくなった。
お金が欲しくて入った会社だった
その机で面接を受けたのが、他でもない松本社長だった。
実家は個人で手がけるリフォーム・建築の会社で、大学時代に手伝うことになったものの、スキルのないまま辞めてしまい、生活に困っていた。
とりあえずお金が欲しいと考え、ハローワークに行き、合同説明会で目にとまったのが宿力だった。
なぜ入社したのか、答えは短い。
「お金が欲しかったからなんですよ。単純に、本当になくて。あと、家が近かったんです」

緩そうな会社に見えたので、すぐ辞めるつもりでいた。しかし入社初日、ホームページを作れるという触れ込みで入ったのに「作りません」と言われる。
ウェブディレクションを覚えて独立するはずのキャリアプランは、一日で消えた。
それでも辞めなかった理由は、目の前の光景にあった。
旅館の何代目かの人が、多額の借金を背負って経営している。
雨漏りを直せず、フロントに水がたまったままの宿もあった。
「うわ、助けなあかん人いるやんと思って。その使命感で必死にやっていたら、こうなったという感じですね」
そうして十数年。お金が欲しくて入ってきた人が、この会社の社長になった。
かつて自分が面接を受けた机を、残すかどうか決める側になっていた。
移転先の設計を任せたのはクジラだった。
当時のクジラ役員と宿力スタッフが知人だったというところから縁がつながり、宿力がSEKAI HOTELの立て直しを手伝った間柄である。
当時SNSフォロワーが千人に満たなかったSEKAI HOTELは、いまや3万人を超えるように。今度は、宿力が依頼する側になった。

設計会社に心当たりが無かったわけではない。
それでも宿力が選んだのは、自社でホテルの運営までしている相手だった。
「結局、全部触れるっていうのはすごいなと」
これは前の事務所から持っていく
新しい事務所に何を入れるか。
社内からは、次々と案が出た。
昇降式デスク、スイッチひとつで曇るガラス、ホワイトボード、自販機…。そして、ラーメン製造機。
「いろんなことを言ってくる人がたくさんいるんですよね。夢が広がっちゃうので。基本的には、整理していく作業をやっていく、という感じでした」
宿力はボトムアップの会社だ。当時まだ専務だった松本社長の役回りは、出てきた案を一つずつ降ろしていくことだった。
曇るガラスは業者を探して見積もりを取ったところで金額が合わずに消えた。
昼寝ができない。ご飯を食べているところを人に見られる。
前の事務所にあった昼寝スペースを引き継がないと決めれば、そういう声が返ってくる。
「徐々に諦めていくという作業が必要になりましたね」
そこへ、予算の話が重なった。ビル側に求められる工事の範囲が想定より膨らみ、内装にかけられる金額が削られる。
「あれもなし、これもなし、これは前の事務所から持っていく、これも持っていく、という調整が結構大変でした」と、移転を担当していたバックオフィスを管轄する、中江さんは言う。
長く使い込まれた事務所から、一つずつ選び出す作業になった。
そうして持っていくものを決めていく会議の中で、いちばん重く、いちばん運びにくいものだけは、最初から決まっていた。
銀行の人が「いい会議室ですね」と言う
移転が決まったとき、社内の空気は重かった。
「実は、みんな嫌がってたんですよ」
前の事務所は薄暗い雑居ビルだったが、社員の多くが近所に住み、大きな商店街が近く、十年以上そこにいた。
DIYで手を入れてきたぶん、愛着もあった。
引っ越しから半年。
中江さんは、もっと長くいるような感覚だと言う。

「意外とそれくらいしか経っていないんだな、というくらい、もう馴染んでます」
「全然、嫌がってないです」
変化がいちばん見えるのは、来客のときだ。
金融機関との窓口は京都に集まっていて、銀行の担当者が通されるのは、あの天板のある会議室である。
脚は造り直され、配線を通してコンセントが仕込まれた。
壁も什器も、この一枚に合わせてベージュ寄りで揃えてある。

「銀行さんも『いい会議室ですね』と言ってくれます」
前の事務所では、来客を呼ぶのが少し恥ずかしかったと中江さんは言う。
「今は全然、どんどん来てください、と言えるようになりました」
松本社長の評価は、もっと端的だ。
「全支社で、いちばんちゃんとしてる事務所ですね」
「僕らすらいらない」
どういう人が社長になるのだろう。
大事にしていることを尋ねると、松本社長は軸を一つだけ挙げた。
「僕、必ず『自主・自立・挑戦』という軸で生きていて」

いまは会社の理念になっている。まず自主的に動けるようになり、次に自立し、そして挑戦する。
幹部会議で共有し、社長就任の場で全社員にも話した。京都支社が新しくなり、社長が代わり、理念が示された。
いいタイミングだったと松本社長は振り返る。就任そのものは、当初の想定より早まったのだという。
最後に、新社長としての展望を聞いた。返ってきたのは、自社を大きくする話ではなかった。
「僕たちがやっていることを業界がアップデートしていって、当たり前のようにできるようになれば、僕らすらいらない。それって、業界が一個ステップアップするということなんじゃないかなと」
自分たちが要らなくなる未来を目指す人が、前の会社から託されたものだけは手放さなかった。
何を捨てて、何を残すかを決めることは、これから何をする会社なのかを決めることでもあった。
▼WORK | 施工事例記事



